鲜到极致,险也极致!河豚鱼缘何会让古今中外的食客甘愿“拼死一试”?大连人包的河豚水饺鲜掉眉毛,日本人奉为“冬天味觉之王” 的河豚刺身薄如蝉翼,还有郭沫若先生访日时的首次尝鲜趣事……。今天我们为读者推送本刊顾问刘德有先生的随笔,和您一起品味河豚鱼背后的舌尖故事与人文趣谈。
我出生在东北大连。这座滨海城市,一年四季,盛产海鲜,鱼虾蚌蟹,样样俱全。
筆者は中国東北部の大連生まれ。一年中、魚、エビ、カニ、貝などありとあらゆる海の幸が楽しめる海浜都市だ。
距今七八十年前,我小时候,妈妈经常带我去逛鱼市。我印象最深的是出售河豚的摊位。那时,鱼商卖河豚鱼,去头剥皮,只卖河豚的雪白鱼肉。买回家,妈妈要精心地洗上好几遍,口中还念念有词:“一定要洗干净。这鱼的血有毒,吃了,可不得了!”
七、八十年ほど前、幼い頃、母はよく筆者を魚市場に連れて行った。その中でも最も印象的だったのが、フグを売る露店だった。当時、魚屋はフグの頭と皮を取り除き、真っ白な身だけを売っていた。家に持ち帰ると、母は念入りに何度も洗いながら、「しっかり洗わなきゃ。この魚の血は毒があるから、食べたら大変なことになるわ!」とつぶやいていた。
大连人引以自豪的是把河豚鱼肉与猪肉合在一起剁成馅,包饺子吃。那味道,要多鲜美有多鲜美,套用一句文绉绉的话来说,就是“大快朵颐”,真叫一个“绝”!
大連では、フグの身を豚肉と一緒にみじん切りにしてギョーザの具にするのが自慢の味。その味ときたら、もうおいしいことこの上なし。ちょっと気取った言い方を借りれば「大いに舌鼓を打つ」、まさに「絶品!」という感じだった。
日本人生活在四面环海的土地上,虽爱吃鱼,但不知道河豚鱼还可以包饺子,他们听说中国人吃河豚鱼的水饺,感到十分惊羡。与此相类似,在很长一段时间里我不知道河豚鱼可以生吃。
日本人は海に囲まれた土地で魚を愛食しているが、フグをギョーザにすることは知らなかったようだ。中国人がフグのギョーザを食べると聞いたとき、非常に驚いてうらやましがっていた。一方、筆者も長い間、フグを生食することを知らなかった。
本来嘛,中国人尤其是北方人除了海蜇等以外,那时从不生食海鲜。生吃河豚鱼,我还是解放后因公出访日本,才第一次知道。
当時の中国人、特に北方の人々は、クラゲなどを除いて、海の幸を生食する習慣がなかったからだ。フグの生食を知ったのは、新中国成立後に公務で日本を訪れたときのことだ。
说到生吃河豚鱼,我要从1955年冬郭沫若率领中国科学代表团访日说起。那次访日快要结束时,全团前往西日本著名的海港城市——下关等船,准备取海路回国。
フグの刺身については、1955年の冬、郭沫若氏引率の中国科学代表団の日本訪問から話が始まる。訪問が終わりに近づいた頃、団全体で西日本の有名な海港都市・下関へ、船に乗るため向かい、海路で帰国する予定だった。
郭沫若(右二)与东京大学野口教授(右一)以及内山完造夫妇。左二是本文作者刘德有
我们到了下关,才知道轮船要晚一两天才能进港。于是,便有郭老和团员、历史学家翦伯赞的别府行。我有幸作为译员随同前往,一路上,由东京大学教授野口先生和内山完造夫妇陪同。
しかし、下関に到着すると、船が一、二日遅れて入港することが分かった。そこで、郭沫若氏や団員の歴史学者・翦伯賛(せんはくさん)氏は別府へ行くことになった。筆者は幸運にも通訳として同行し、東京大学の野口教授や内山完造夫妻に同伴して旅程を進めた。
刘德有(左)给翦伯赞做翻译
别府在九州大分县中部,依山傍海,景色秀丽,是游览疗养胜地,素以温泉多而远近闻名。当晚,我们在“白云山庄”下榻。这是一家典型的和式旅馆。它恬静、清幽,屋内铺有“榻榻米”。对于风尘仆仆的旅客来说,确实是一个理想的休息场所。
別府は九州の大分県中部に位置し、山と海に囲まれた風光明媚(めいび)な観光保養地で、温泉が多い名所だ。その晩、私たちは「白雲山荘」に宿泊した。ここは典型的な和式旅館で、静かで清らかな雰囲気があり、部屋には畳が敷かれ、長い旅の疲れを癒やすのに最適な場所だった。
白云山庄的料理
晚饭的时间到了,女服务员把我们领到一间大屋用餐。由于大分县东部临海,出产新鲜鱼类,这一天也少不得上来几种海鲜,其中一道是这里的名产“河豚”的生鱼片。
夕食の時間になると、女性スタッフが私たちを大きな部屋に案内してくれた。大分県東部は海に面しているため、新鮮な魚介類が豊富で、その日もいくつかの海の幸が出された。その中に、この地の名物「フグ」の刺身があった。
那一天上来的河豚刺身,是把鱼肉切成细条,用醋拌过后装在精美的小碗里的。听了服务员的介绍后,席间立刻活跃起来。但谁也不肯马上动筷。
その日は、細切りにした身を酢であえ、美しい小鉢に盛られて出された。スタッフの説明を聞くと、席上はすぐに活気づいたが、誰もすぐに箸を取ろうとはしなかった。
我知道,日本人非常喜食河豚,他们把河豚称为“冬天味觉之王”,但由于河豚的肝脏、卵巢、血液等毒性大,在日本出售河豚菜的厨师必须经过考试,合格后才能领取营业执照。
筆者は、日本人がフグを非常に好んでおり、「冬の味覚の王様」と呼ぶことを知っていた。しかし、フグの肝臓や卵巣、血液などは毒性が強いため、日本ではフグ料理を提供する料理人は試験に合格し、免許を取得しなければならない。
由于河豚鱼味美有毒,日本有句谚语:“想吃河豚鱼,又舍不得命。”郭老诙谐地说:“我豁出命来,品尝一下!”便带头把河豚的生鱼片彻底干净地消灭掉。
フグは旨味がありながら毒があるため、日本には「フグは食いたし、命は惜しし」ということわざがある。郭沫若氏は冗談めかして「命を懸けて、一度味わってみよう!」と言い、率先してフグの刺身を完食した。
虽然我小时在家乡吃过煮熟的河豚,但从未尝试过生的,因而不免有些犹豫、踌躇,但最后还是鼓足勇气把它吞下。说实话,那时我并未觉得河豚鱼的刺身有多么鲜美。
筆者は幼い頃、故郷で煮熟したフグを食べたことはあったが、生のものは初めて。少しちゅうちょしたが、最後には勇気を出して口に入れた。正直なところ、当時はフグの刺身がそれほどおいしいとは感じなかった。
在离开白云山庄时的合影。右一为郭沫若,右三为翦伯赞。左一为东京大学野口教授、左四为内山完造、左三为刘德有。其他男士为东京华侨总会侨领甘文芳会长等。女士为白云山庄的服务员
说到河豚鱼的烹饪,在日本做法蛮多,除了刺身外,还可以做什锦火锅、黄酱汤、鱼肉冻等。我担任常驻记者期间出差前往日本西部或北九州一带,到了用餐时间,作为体验生活,偶尔也进过小饭馆,点一个小尺寸的河豚什锦火锅,吃起来,既味美可口,又经济实惠。
日本でのフグの調理法はさまざまで、刺身のほかに、フグ鍋(てっちり)、味噌汁、魚肉のゼリーなどがある。筆者が常駐記者を務めていた頃、西日本や北九州方面に出張すると、食事の時間には時折、小さな飲食店に入り、生活体験として小サイズのフグ鍋を注文することがあった。それは旨味があり、経済的でもあった。
据了解,这一带是日本河豚的盛产区。一般的小菜馆也出售河豚菜,但越是靠近东京或日本北部,河豚就越成为高级菜。
この地域は日本のフグの主産地であるため、一般的な小料理屋でもフグ料理を提供しているが、東京や北日本に近づくほど、フグは高級料理となる。
那时,东京经营河豚菜的菜馆大约有1000家,后来由于物价上涨,河豚的价格也越来越昂贵。一些人模拟那句人们熟悉的谚语“想吃河豚鱼,又舍不得命”,开玩笑揶揄说:“想吃河豚鱼,又舍不得钱。”
当時、東京でフグ料理を扱う店は約1000軒あったが、その後物価の上昇に伴い、フグの価格も高騰した。人々は「フグは食いたし、命は惜しし」ということわざをもじって、「フグは食いたし、金は惜しし」と冗談を言うようになった。
河豚的生鱼片,做法也五花八门。未成想有一次国会议员、老朋友古井喜实先生为了表示友好,请中国驻日人员在东京一家专营“河豚料理”的日本料亭,吃了一顿堪称艺术品的“河豚刺身”。
フグの刺身の作り方も多種多様だ。ある時、国会議員であり旧友の古井喜実氏が友好を示すため、中国駐日関係者を東京の「フグ料理」専門の料亭に招待し、まさに芸術品とも言える「フグ刺身」をいただいた。
宛若艺术品的河豚生鱼片
一般来说,其他种类鱼的刺身,用刀切时要有一定厚度,而河豚鱼则不同,要切得极薄,整齐而又艺术地排列在瓷盘里。那河豚鱼片就像一层透明的纸,连盘子的花纹都清晰可见。吃时,要蘸一种特制的橙醋,不仅味道绝佳,也颇有欣赏性。
一般的に、他の魚の刺身はある程度の厚さで切るのに対し、フグは非常に薄く切り、美しく磁器製の皿に並べられる。その薄さは透明な紙のようで、皿の模様まで透けて見える。食べる際には、特製のポン酢をつけるのだが、その味は絶妙で、観賞価値もあった。
最难忘的是,那一天晚上我们还喝了鲀鳍酒——河豚鱼的鱼翅酒。做法是把一枚用火烤的河豚鱼翅泡进烫过的清酒里,使酒熏上一种特殊的香味。
最も忘れられないのは、その晩飲んだ「ひれ酒」だ。これは、火であぶったフグのひれを温めた清酒に浸し、独特の香りをつけた酒だ。
如果喝时擦一根火柴把酒稍微点燃一下,可以减弱酒精度,这样就不容易喝醉。连我这个平时滴酒不沾的人,也觉得很好喝,那酒既有河豚的鲜美,又有清酒的芳醇,别有一番风味。
飲む際にマッチで少し火をつけると、アルコール度数が下がり、酔いにくくなるそうだ。普段は一滴も酒を飲まない筆者でも、とてもおいしく感じ、フグの旨味と清酒の芳醇さが融合した独特の風味だった。
日本人的祖先从何时开始吃河豚,已无从查考。估计很早就有吃河豚鱼的习惯。迄今日本各地发现的古代贝冢,有很多河豚骨出土,就说明了这一点。
日本人がいつからフグを食べ始めたのかは定かではないが、古くから食べていたと推定される。日本各地で発掘された貝塚から多数のフグの骨が出土していることからも明らかだ。
中国人自古也喜食河豚,这,有诗为证。宋代大诗人梅尧臣在《范饶州坐中客语食河豚鱼》中写道:“春岸飞杨花,河豚当是时”“持问南方人,党护复矜夸,皆言美无度,谁谓死如麻?”
中国人も古くからフグを好んで食べてきた。宋の大詩人・梅堯臣は『范饒州の座中にて客河豚魚を食するを語る』という詩の中で、「春の川岸に柳の綿毛が舞う頃こそフグの季節だ」「南方の人に尋ねると、口をそろえて『格別に美味だ』と自慢する。そのおいしさといったら最高、『死者が麻のように多い』とは誰が言った?」と詠んでいる。
宋末诗人洪驹父更是生动地描绘了河豚的味美无比:“蒌蒿短短荻芽肥,正是河豚欲上时。甘美远胜西子乳,吴王当日未尝知。”
宋末の詩人・洪駒父はさらに「ヤマヨモギはまだ短く、荻の芽はふっくら育っている。まさにフグが川をさかのぼる季節。その甘美さは絶世の美女・西施の乳よりもはるかに勝っている。だが呉王夫差の時代には、そのおいしさを知ることはなかった」と、フグの旨味を生き生きと描写している。
日本人惊叹中国文人丰富奇拔的想像力:竟然把河豚与当年西施的乳汁相比,认为其味之美远远胜过它。至于古时中国人是否曾吃过生河豚,却不得而知。
日本人は、中国の文人がフグを西施の乳汁に例え、そのおいしさをそれ以上だと考えた豊かな想像力に驚嘆している。しかし、古代の中国人が生のフグを食べたかどうかは不明のままだ。
各类河豚鱼。选自讲谈社版《日本百科全书》
河豚鱼种类甚多,分布很广,从温带到热带都可生息,在中国、东南亚以及非洲,有的河豚生活在淡水中,但大部分生活在海里。鱼类是没有眼睑的,所以不能闭眼,但河豚的眼部周围有皱褶,能够闭眼睁眼,在潜入沙底时便“闭目养神”。
フグの種類は非常に多く、分布も広く、温帯から熱帯まで生息している。中国、東南アジア、アフリカでは、淡水に生息するフグもいるが、大部分は海に生息している。魚類はまぶたを持たないため目をつむることができないが、フグは眼部周囲に薄い筋肉(皮筋)があり、目をつむることができ、砂底に潜る際には「目をつむって休む」そうだ。
河豚的嘴虽然很小,但牙齿锋利,在水中捕食虾、蟹、海胆,乌贼、蛤蜊、小鱼及海五星等。它身体呈圆筒形,游动迟缓,不能速逃。但体内有气囊,遇到险情时,会吸气膨胀,借此吓退来袭者。所以,河豚又称作气泡鱼、吹肚鱼、气鼓鱼。
フグの口は小さいが歯が鋭く、水中でエビ、カニ、ウニ、イカ、ハマグリ、小魚、ヒトデなどを捕食する。体は円筒形で、泳ぎは遅く素早く逃げることができないが、体内に胃の一部が変化した膨張のうという袋のような物を持っており、危険を感じると空気を吸って体を膨らませ、襲来者を威嚇する。そのため、フグは中国語で「気泡魚」「吹肚魚」「気鼓魚」などとも呼ばれる。
身体呈圆筒形的河豚鱼
由于种类不同,有些河豚产卵时在沿岸的水流湍急处,早则在春天,晚则在夏季。河豚产的卵,多为“沉性粘着卵”,因此很容易附着在石头、砂砾或木片上。近年来,由于技术的不断发达,人工养殖的河豚逐渐多了起来。
種類によっては、産卵期に沿岸の流れの速い場所に集まり、早ければ春、遅ければ夏に産卵する。フグの卵は「沈性粘着卵」であるため、石や砂利、木片などに容易に付着する。近年、技術の進歩により、人工養殖のフグが増えてきている。
河豚的毒不在肉里,如上所述,多在内脏和血液中,根据不同种类和季节,毒性的强弱也各异。
フグの毒は肉にはなく、前述のように主に内臓や血液中に含まれており、種類や季節によって毒性の強さが異なる。
上世纪50年代我从大连刚来北京时,看到鱼店把河豚鱼特意拣出来,拴上写着“毒鱼”字样的牌子挂起,提醒人们不要吃它,以免中毒。由于我知道只要把它处理好,便可成为一道美味,因此看到这一情景,未免产生违和感。
1950年代、私が大連から北京に来た頃、魚屋ではフグを特別に取り分け、「毒魚」と書かれた札を付けて掲げ(まさに「札付き」)、人々に誤食による中毒を警戒させていた。適切に処理すればフグがおいしい料理になることを私は知っていたため、この情景を見て少し違和感を覚えた。
奇怪的是,日本有些美食家专门喜欢吃河豚的内脏。俗话说,“不好别的,就好这一口。” 他们的信条是“味之美,值得一死” 。据说,有毒的内脏,吃起来,舌头发麻,味道格外鲜美。
不思議なことに、日本の一部の美食家はフグの内臓を専ら好んで食べる。「ほかのものはどうでもいい、ただこれだけが好きだ」というわけだ。彼らの信条は「味のおいしさには死ぬほどの価値がある」だ。有毒な内臓は食べると舌がしびれ、格別の旨味があるというのだ。
我在日本工作期间,有一位歌舞伎著名演员,名叫坂东三津五郎的,因吃河豚内脏而丧命,此事成为一大新闻。这真是“拼死吃河豚”的结果。
筆者が日本で勤務していた頃、歌舞伎の著名な役者である坂東三津五郎氏がフグの内臓を食べて命を落としたことがあり、大きなニュースになった。まさに「命を懸けてフグを食べた」結果だった。
关于“吃河豚怕死”,日本江户时代后期有一位名作家十返舍一九写过这样一段故事:
「フグを食べたいが死にたくない」ということについて、江戸時代後期の作家・十返舎一九が次のような話を書いている。
ある日、数人の友達寄り合い、「なんと鰒(ふぐ)をもらったが、誰ぞ先へ食って見せや」と言えども、誰一人食おうと言う者なし。
一日,数人相聚。其中一人说:“有人送来了河豚,谁先尝一下?”无人自告奋勇。
中に一人の男が言うには、「なんと、橋の上に寝ている物乞いに一杯持って行ってやるのはどうだ」。
另一人建议:“桥头有个乞丐,何不让他先尝?”
やがて鰒汁をこしらえ、まず物乞いに一杯持っていってやろうと、かの橋の上に行き、「なんと、手前たちは鰒汁はどうだ」
于是,炖好一锅河豚汤,送给乞丐一碗,说:“这是河豚汤,请你尝尝。”
物乞い「それはありがとうございます」
乞丐道谢,接了过去。
しばらくして、そっと見に行ったところが、別条もない様子。「さあ、もうよい」と、みな打ち寄り、たらふく鍋を空けてしまい、「さて、うまかった」とようじを使いながら、橋の上を行き、「どうだ、さっきの鰒はとほうもなくうまかった」と言えば、物乞い「あなたがたも、おあがりなさいましたか」
过了片刻,那群人蹑手蹑脚去桥头看,一切正常。这群人放心大胆,回去饱餐一顿。然后,若无其事,来到桥头卖乖,问乞丐:“刚才的河豚汤味道不错吧?”乞丐反问道:“您们已经吃了吗?”
「おう、食った」
众人说:“吃了,吃了,鲜美极了!”
物乞い「左様なら、私もいただきましょう」と言って、碗を持ち上げて大いに食べ始めた。
乞丐不慌不忙地说:“既然如此,那我就不客气了。”说罢,端起了碗,便大吃起来。
这则笑话,勾画出吃河豚人的心态和被视为“下等人”的那位乞丐的机智和聪明,岂不快哉!
この笑話は、フグを食べる人々の心理と、「下等人」と見なされた物乞いの機知に富んだ才覚を描いており、実に面白いものだ。
刘德有
1931年出生于大连,日本文化专家,记者、翻译家。
1952年任《人民中国》翻译,编辑。
1955年到1964年,曾为毛泽东、周恩来、刘少奇等人做翻译。
1964年到1978年作为《光明日报》和新华社记者在日本工作15年。
1986年到1996年任中华人民共和国文化部副部长。
著作:《时光之旅》(時は流れて)《战后日语新探》(戦後日本語新探)
译著:《祈祷》(祈祷,有吉佐和子)、《山芋粥》(芋粥,芥川龙之介)、《突然变成的哑巴》(不意の唖,大江健三郎)、《残象》(残像,野间宏)等。
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