为什么我会在看完布朗库西的展览大半年后,突然决定翻译这篇万字长文?对我来说,布朗库西其实更像是上一代的“网红艺术家”。他的金鸟和Q版接吻并不是什么“值得深思”的作品,而是仅仅是易懂舒适视觉体验。
然而,在Artizon举办的展览上,实际的参观人数却并不算多,大部分都是白人。这让我有些意外,毕竟布朗库西的名气不该如此冷清。事实上,连我一开始也并未打算前往参观,只是被展览的题目《本質を象る》吸引,才抱着试试看的心态去看了。
然而,站在现场时,我却不由得被他的一些纯粹形式的作品,以及展厅中非日常的灯光氛围所打动。至少是那一刻,我感觉这趟展览不虚此行,甚至值得细细品味。
但半年过去了,我没有在任何地方看到关于这个展览的讨论。他真的已经过气了?还是本来就是我在欧洲看到的幻觉?或者,我对他的作品究竟是喜欢还是不喜欢?
最近整理房间时,我竟然发现自己买了那个展览的明信片。对于我这个近几年已经很少买明信片的人来说,这实在是少见。毕竟,面对各种舒适又好看的图像泛滥成灾的小空间——我的房间也不过只有四叠半,我早已对这些“纪念纸片”心生麻木了。
巧的是,最近YouTube还向我推荐了龟梨和也去巴塞尔Beyeler基金会参观展览的视频。而布朗库西的作品,竟然第一时间出现在镜头中,仿佛在提醒我他的存在。
这些奇怪的念头不断萦绕,让我最终决定,把这篇tokyoartbeat的万字采访翻译发布在Onedaystand上,附上25张展览现场的照片。我希望借此机会,更好地理解这位艺术家,也更清楚地表达出我对他那复杂而矛盾的感受。
ブランクーシを読み解く7つのキーワードとは?アーティゾン美術館「ブランクーシ 本質を象(かたど)る」展学芸員インタビュー
永田晶子
東京のアーティゾン美術館で「ブランクーシ 本質を象(かたど)る」展が3月30日~7月7日に開催。20世紀彫刻の先駆者コンスタンティン・ブランクーシと、その創作活動を日本の美術館で初めて包括的に紹介する本展について担当学芸員のインタビューをお届け
現代彫刻の先駆者とされるルーマニア出身の彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシ(1876~1957)。その創作活動の全体を日本の美術館で初めて紹介する展覧会「ブランクーシ 本質を象る」が東京・京橋のアーティゾン美術館で3月30日に開幕した。会期は7月7日まで。ブランクーシはルーマニア南西部の町ホビツァ生まれ。ブカレスト国立美術学校で学んだ後、1904年にパリに出て制作を行い、対象の本質を抽出する純粋なフォルムの探求を通じロダン以降の彫刻表現を大きく更新した。
本展は、ブランクーシ・エステートと国内外の美術館が所蔵する彼の彫刻23点と平面・写真作品に加え、関連作家の作品の合計89点を展示し、その歩みを包括的に紹介する。開催に先立ち、本展の企画を担当したアーティゾン美術館の島本英明学芸員に見どころやブランクーシの魅力について聞いた。まとまったかたちで作品を鑑賞できる貴重な機会となる本展。訪れる際はぜひ参考にしてほしい。
目次
国内外の彫刻作品23点が一堂に
近代彫刻へのアンチテーゼ?直彫りを追求
短期間に大きく転換した作風
《空間の鳥》に見える天上志向
注目したい「卵型」「台座との関係」
鏡面仕上げで空間と新たな関係結ぶ
写真、言葉への強いこだわり
米国での代理人務めたデュシャン
21世紀に息づく作品の魅力
解读布朗库西的7个关键词:Artizon美术馆「布朗库西——塑造本质」展览策展人专访
被誉为现代雕塑先驱嘅罗马尼亚出生雕塑家康斯坦丁·布朗库西(1876~1957),佢嘅创作生涯喺日本美术馆首次完整展现嘅展览《布朗库西 本质之形》喺东京京桥嘅Artizon美术馆喺3月30日开幕,展览会期到7月7日。
布朗库西出生喺罗马尼亚西南部小镇霍比察,喺布加勒斯特国立美术学校学习之后,1904年移居巴黎开始创作,通过提炼对象嘅本质,以纯粹嘅形态探索,喺罗丹之后大大革新咗雕塑表现方式。
呢次展览汇集咗布朗库西·庄园以及国内外美术馆藏嘅23件雕塑作品、平面同摄影作品,加埋相关艺术家嘅作品,总共89件,全面介绍佢嘅创作历程。
展览开幕之前,我哋访问咗负责策划今次展览嘅Artizon美术馆策展人岛本英明,了解呢次展览嘅亮点同布朗库西嘅魅力。能够集中观赏佢作品嘅机会非常难得,希望大家参观时作为参考。
目录
国内外23件雕塑作品齐集一堂
对现代雕塑嘅反命题?追求直刻技法
风格喺短时间内大幅转变
《空间之鸟》中体现嘅向天之志
值得关注嘅「蛋形」同「台座关系」
镜面工艺与空间新关系
对摄影同语言嘅执着
曾任美国代理人嘅杜尚
21世纪依然活跃嘅作品魅力
国内外の彫刻作品23点が一堂に
──ブランクーシは非常に著名な彫刻家にも関わらず、日本の美術館での包括的な展覧会は今回が初めてとなります。これまで国内で開催できなかったのは理由があるのでしょうか?
島本英明(以下、島本):恐らく作品の集まりづらさが大きな理由だと思います。日本では、1982年に旧高輪美術館(現セゾン現代美術館)が「彫刻家のカメラ・アイ : ブランクーシ写真展」を開催しましたが、これはブランクーシが撮影した写真作品に特化した内容で彫刻が中心の展覧会ではありませんでした。
世界的に見ても、これまでにブランクーシの回顧的な展覧会は少なく、開きづらさがうかがえます。まとまった数の作品を所蔵しているのは、パリのポンピドゥー・センターとアメリカのフィラデルフィア美術館に限られているためでしょう。近年では、ニューヨーク近代美術館(MoMA)とソロモン・R・グッゲンハイム美術館が特集展示を行い、グッゲンハイムは10点前後の所蔵作品を展示して話題になりました。
また彼の彫刻は、繊細な木や石膏が使われたり、比較的扱いやすいブロンズもケアが必要な鏡面仕上げだったりと、全般的に作品輸送に美術館がセンシティブにならざるを得ないことも理由に挙げられるかもしれません。
今回は著作権管理団体のブランクーシ・エステートや国内外の美術館、個人コレクションのご協力が得られて、当館が所蔵する2点を含む計23点の彫刻作品をご覧いただけます。
国内外23件雕塑作品齐集一堂
──布朗库西系非常著名嘅雕塑家,但今次竟然系日本美术馆首次全面展览,之前喺国内冇展出嘅原因系咩呢?
岛本英明(以下简称岛本):可能最大嘅原因系作品难以集中。日本曾喺1982年,由旧高轮美术馆(现世宗现代美术馆)举办过《雕塑家嘅摄影之眼:布朗库西摄影展》,但呢个展览系专注于佢拍摄嘅摄影作品,唔系以雕塑为主嘅展览。
从全球睇,布朗库西嘅回顾展亦唔多,系一个难以开展嘅展览。集中收藏佢作品嘅机构主要系巴黎嘅蓬皮杜中心同美国费城美术馆。近年,纽约现代美术馆(MoMA)同所罗门·R·古根海姆美术馆有做过专题展览,古根海姆展出咗约10件藏品,成为热点。
此外,佢嘅雕塑使用咗好纤细嘅木材同石膏,或者需要特别处理嘅镜面青铜,都令美术馆喺运输作品时更加小心谨慎,可能亦系展览难以举办嘅原因之一。
今次多得布朗库西·庄园嘅版权管理机构,以及国内外美术馆同私人收藏家嘅协助,连同本馆收藏嘅两件作品,共展出咗23件雕塑作品。
コンスタンティン・ブランクーシ 撮影:キャサリン・ドライヤー(1924) 石橋財団アーティゾン美術館
──国際的にも希少な展覧会になるわけですね。ブランクーシはどのような彫刻家で、20世紀美術においてどう位置づけられるのでしょうか?
島本:改めて考えると、不思議な立ち位置と相矛盾する部分を持つ作家ですね。結論から言いますと、ほかに並ぶ人をちょっと思いつかない、唯一無二というべき美術家だと思います。
たとえば、MoMA初代館長のアルフレッド・H・バーJr.が1936年に開催した「キュビスムと抽象美術」展に際し作成した有名なチャート図があります。モダンアートの様々な派や動向が示されていますが、その中に存命中の作家として唯ひとり、ブランクーシだけが単独で名前が入っています。つまり、どこかの派に帰属させがたい、異質な存在だったのでしょう。
──国际上都好少有类似嘅展览。布朗库西系点样嘅雕塑家,喺20世纪艺术中占咗点样嘅地位呢?
岛本英明(以下简称岛本):细心谂返,其实布朗库西喺艺术史上有一种奇特嘅位置,佢身上有啲相矛盾嘅地方。直接讲结论,我觉得佢系一位独一无二、难以同其他人相比嘅艺术家。
举个例,MoMA初代馆长阿尔弗雷德·H·巴尔Jr.喺1936年举办嘅《立体主义与抽象艺术》展览度画咗一张著名嘅图表,图入面列出咗现代艺术唔同流派同趋势。但喺当时仍然在世嘅艺术家入面,只有布朗库西一个人单独用名列出,冇归属于任何一个流派。这即系话,佢喺艺术发展中系一个异质嘅存在,难以归类到某个派别。
アルフレッド・H・バーJr.監修 展覧会図録『キュビスムと抽象芸術』(1936・ニューヨーク近代美術館) 26.0×19.6cm 石橋財団アーティゾン美術館
近代彫刻へのアンチテーゼ?直彫りを追求
島本:先ほど相矛盾する部分があると言いましたが、ブランクーシの創作のコアは木や石を直彫りする手仕事で、自分ひとりで作品を作り上げることに非常にこだわりました。いっぽう、彼が身を置いた近代彫刻の世界は、制作の分業化が進み、作家の原型を再現する下彫り工や型取り工は欠かせない存在でした。分業による大型モニュメント像を多数手がけ成功した代表格が、塑造による彫刻表現を行ったオーギュスト・ロダンです。
ブランクーシは、知人のルーマニア人にロダンを紹介され、1907年3月に彼のアトリエで下彫り工として働き始めますが、1か月ほどで辞去しました。具体的なタイミングはわかりませんが、その1907年に直彫りの実践を始め、創作の中心にしていきます。それまでの塑造からスタイルを転換したんですね。ロダンに背を向けるように辞去した時期と、自身が新たな手法を始めた時期がほぼ同じなのは気になるところです。
当時、ロダンが推し進めた分業システムに反発して、アンチテーゼとして直彫りに取り組んだ若手はブランクーシだけではありませんでした。ただ、彼はパリに来る前にウィーンで家具職人の見習いとして働いた経験があり、木の扱いに慣れていました。手仕事からものづくりを始めたので、制度化された西洋の近代彫刻に染まらない部分があったのではないでしょうか。
──それはブランクーシがルーマニアという、西欧文化のいわば非中心的な国の出身だからでしょうか。
島本:それもあるかもしれません。ブランクーシはルーマニアで美術学校に通い彫刻を学びましたが、その前は小学校に行かずに樽職人の見習いをしています。なので、すでに確立された近代彫刻の制度や表現に染まらない、こだわらない部分があったと推察します。
とはいえ、1904年にパリに出て翌年に国立美術学校に入学し、アカデミスムの彫刻家アントナン・メルシエの教室で学んでいますから、教わることに価値を置かなかったわけでもないと思いますね。
2年後に国立美術学校を離れて、ロダンの許でごく短期間働いた後は、誰にも師事せず独自の制作に取り組むようになります。
近代雕塑嘅反命题?追求直刻工艺
岛本:我啱啱提到,布朗库西有啲相矛盾嘅地方。佢创作嘅核心喺于用木头或者石头进行直刻,完全由自己一个人完成作品,对此佢非常执着。但同时,佢所处嘅现代雕塑界,分工制作系一个重要趋势。喺呢种模式下,艺术家会依靠其他人,例如负责制作初稿嘅助手或者模具工,嚟完成雕塑。呢种分工模式嘅代表人物就系奥古斯特·罗丹,佢通过呢种方式创作咗大量成功嘅大型纪念碑雕塑。
布朗库西喺1907年3月经朋友介绍,喺罗丹嘅工作室度做咗一个月左右嘅助手,负责初刻工序,但之后就离开咗。喺同年,佢开始实践直刻技法,并将其发展成自己创作嘅核心。换句话讲,佢喺呢个时期开始从之前嘅塑造风格转向直刻。而辞职同佢开始直刻创作嘅时间几乎重叠,呢一点相当值得玩味。
当时,罗丹提倡嘅分工制作体系引起咗唔少年轻雕塑家嘅反感,将直刻作为一种对抗嘅方式,但布朗库西并唔系唯一一个。佢喺去巴黎之前,喺维也纳做过家具工匠嘅学徒,熟悉木材嘅处理,呢种手工技能令佢喺创作上保持咗一份与现代雕塑体系唔同嘅独立性。
──会唔会因为布朗库西系罗马尼亚呢个喺西欧文化上较非主流国家出身嘅原因呢?
岛本:呢个可能系原因之一。布朗库西喺罗马尼亚读过美术学校,学习过雕塑,但喺此之前,佢甚至冇上过小学,而系作为樽匠嘅学徒开始学艺。因此,佢喺创作上冇受到现代雕塑体系或者既定表达方式嘅局限。
不过,1904年佢去咗巴黎,翌年进入国立美术学校,喺阿卡德米主义雕塑家安东南·梅西耶嘅教室学习,由此可见佢并唔系完全排斥学习传统技法。
喺两年后,佢离开美术学校,之后喺罗丹嘅工作室只工作咗好短时间,之后就冇再拜师,而系全力投入到自己嘅独立创作入面。
会場風景
短期間に大きく転換した作風
──当時ブランクーシに影響を与えた彫刻家はいますか?
島本:ひとり年長者を挙げるなら、イタリア人のメダルド・ロッソ。パリで活動したロッソは、明瞭にフォルムを決めずに人物の輪郭を素材の材質感に溶け込ませた、解釈の可能性を開くような彫刻を作りました。作品人物のポーズも眠りや病中といった休止状態が多く、陰影を取り込んだ良い意味での曖昧な表現が効果を挙げています。ブランクーシは1906年に初めてサロン・ドートンヌに《プライド》を出品しますが、その年にロッソは審査員を務め、自ら出品もしました。ロダンほどではないにせよ、当時のパリで存在感があった作家です。
本展では、ブランクーシが受けたアカデミックな教育が反映された《プライド》と、ロッソの影響が伺える豊田市美術館所蔵の《眠る幼児》を展示しています。ともにブロンズ像ですが、ふたつを見比べると、短期間に主題や表現が変わったことを感じていただけると思います。
短时间内大幅转变嘅风格
──喺当时,有冇对布朗库西产生影响嘅雕塑家呢?
岛本:如果要讲一个年长嘅艺术家,我会提到意大利嘅梅达尔多·罗索。罗索喺巴黎活动,佢创作嘅雕塑唔系用清晰嘅形式去表现,而系将人物嘅轮廓同材料嘅质感融合,开拓咗更多解读嘅可能性。佢作品中嘅人物经常处于休憩或者病中呢啲静止状态,用光影结合一种模糊但极具表现力嘅方式,产生咗好大嘅艺术效果。
布朗库西喺1906年第一次喺秋季沙龙展览上展出咗《骄傲》,而嗰一年罗索担任咗评审员,并且亲自参展。虽然冇罗丹咁大嘅名气,但喺当时嘅巴黎,罗索都系一位有影响力嘅艺术家。
喺今次展览中,观众可以睇到布朗库西嘅《骄傲》,呢件作品反映咗佢接受嘅学院派教育,同时仲可以睇到受罗索影响嘅《沉睡嘅幼儿》,后者由丰田市美术馆收藏。两者都系青铜雕塑,但如果大家将两件作品进行比较,就可以感受到布朗库西喺短时间内喺主题同表达上嘅巨大转变。
コンスタンティン・ブランクーシ スタンディング・ボーイ 1913頃 テンペラ・紙 57.9×33.7cm メナード美術館
《空間の鳥》に見える天上志向
──本展は7つのキーワードに基づく構成です。どのような狙いがあるのでしょうか。島本:展覧会の構成は、ブランクーシの創作を時系列に区分して紹介する方法は避けたいと思いました。なぜなら、彼は早い段階から制作に首尾一貫性があると思うからです。一例を挙げると、彼の「シリーズ」の概念は、一般的な同一主題をほぼ同時期に続けて制作するものと異なります。
ブランクーシの場合、同じ主題に少し間を置いてまた手を付け、その度に決定的に違う作品ができます。そのようにシリーズの2番目、3番目までいく作品がたくさんあり、彼の特徴のひとつです。
本展では、そうした主題は狭く構え奥行きを作っていくようなブランクーシの仕方に倣って、彼の本質を読み解く7つの「キーワード」を会場に掲げました。「形成期」「直彫り」「フォルム」「交流」「アトリエ」「カメラ」「鳥」です。
展示内容を簡単に説明しますと、まず「形成期」は《プライド》《眠る幼児》などの初期の作品を紹介し、次に彼が生涯こだわった直彫りの技法に焦点を当てます。
ブランクーシらしいシンプルで洗練されたかたちは、早くも1907年から1914年にかけて固まっていきますが、「フォルム」はこの時期の作品が中心となります。
「交流」ではブランクーシが親交を持った美術家やその作品を紹介し、彼が1916年に入居して57年に死去するまで拠点にしたロンサン小路のアトリエも取り上げます。このアトリエは、生前の遺言で置かれた作品とともにフランス国家に寄贈され、現在はポンピドゥー・センター前の広場の建物内に復元されています。
「カメラ」の展示空間では、ブランクーシが自らアトリエや作品を撮影した写真と映像を展示し、ラストの「鳥」は代表作《空間の鳥》を中心に抽象化の過程や超越的な天上志向を考察します。
会場風景より、コンスタンティン・ブランクーシ《空間の鳥》(1926/1982鋳造、ブロンズ、大理石[円筒形台座]、石灰岩[十字形台座]、132.4×35.5×35.5cm、横浜美術館)
《空间之鸟》中体现嘅超越性志向
──本次展览根据7个关键词进行构成,背后有乜嘢考量呢?
岛本:喺展览设计上,我哋避免用时间轴嘅方式去介绍布朗库西嘅创作。因为喺佢创作生涯嘅早期,就已经表现出咗一贯性。例如,佢对“系列”嘅理解同一般意义唔一样。
通常,艺术家喺短时间内围绕同一个主题连续创作,但布朗库西会隔一段时间再重新处理同一主题,而每一次创作出来嘅作品都会有决定性嘅变化。所以,佢嘅作品中,有好多个系列发展到第二、第三件嘅作品,呢种独特性系佢嘅特点之一。
喺展览中,我哋根据布朗库西嘅创作特点,提出咗7个关键词,分别系:「形成期」、「直刻」、「形式」、「交流」、「工作室」、「摄影」、「鸟」。呢啲关键词帮助观众深入理解佢创作嘅本质。
展览内容概括嚟讲,「形成期」会展出例如《骄傲》、《沉睡嘅幼儿》呢啲早期作品;「直刻」部分会聚焦于佢终身坚持嘅直刻技术;「形式」则集中展示1907年至1914年间发展出嘅简单而洗练嘅作品。
「交流」部分展示布朗库西与其他艺术家嘅交往,以及佢1916年入住至去世嘅罗桑小路工作室。呢间工作室喺佢生前根据遗嘱连同作品一齐赠送畀法国国家,现喺喺蓬皮杜中心前面嘅一座建筑物内复原咗。
「摄影」展区则展出布朗库西亲自拍摄嘅工作室及作品相片同影片。「鸟」部分以代表作《空间之鸟》为中心,探讨佢作品中嘅抽象化过程同向天上志向嘅超越性表现。
コンスタンティン・ブランクーシ 鳥 1930 フレスコ 29.0×47.0cm ブランクーシ・エステート
注目したい「卵型」「台座との関係」
──多面的にブランクーシを知ることができそうです。初期から晩期まで様々なフォルムや素材の作品が紹介されますが、注目すべきポイントはありますか。
島本:広い意味の主題と言える「卵形」でしょうか。ブランクーシにとって、卵型は生命の根源を意味しました。彼は人間の頭部を手掛かりに理想的なかたちを追求し、本展ではそのバリエーションと言える作品が比較的多く揃っています。
──卵型で真っ先に思い浮かぶ作品は《眠れるミューズ》です。今回、大阪中之島美術館所蔵の石膏による《眠れるミューズ》(5月12日まで展示)と鏡面仕上げのブロンズ像《眠れるミューズⅡ》のふたつのヴァージョンを見ることができます。初期の《眠る幼児》やブランクーシ・エステート所蔵の《頭部》《ミューズ》など卵型のフォルムが幾つもあり、作家の一貫した関心を感じます。
島本:卵型の源流とも言える《眠る幼児》は貴重な作品です。モデルは1歳の幼い子供で、横たわる頭部の右側の頬を平らにしているので、寝かせて展示できるんですね。当時の通念として彫像は垂直的なものと考えられ、そのために台座が必要でした。でも本作は台座なしにそのまま置いて鑑賞できます。ブランクーシが行った台座と彫刻の関係性の更新は、20世紀美術において革新的でした。台座を必要としない作品は、当館が所蔵する《接吻》もそうです。
その志向はロダンから引き継いだ部分かもしれません。ロダンは群像彫刻《カレーの市民》を高い台座の上ではなく地面に設置することにこだわり、論争を巻き起こしました。鑑賞者のレベルに作品を置いて、モニュメントの概念を揺さぶろうとしたんですね。
コンスタンティン・ブランクーシ 眠れるミューズ 1910-1911頃 石膏 19.0×28.0×19.5cm 大阪中之島美術館(5月12日まで展示)
──人体をモチーフにした作品も、《若い女のトルソ》《若い男のトルソ》、アーティゾン美術館が所蔵する《ポガニー嬢Ⅱ》など異なるバリエーションを見ることができます。《若い男のトルソ》は、胴部と足の上部を円筒形に還元していますし、《ポガニー嬢Ⅱ》はモデルの特徴だったのでしょうか、顔と同化した大きな目と流れる髪が印象的です。
島本:ブランクーシは、人体のように伝統的主題にも取り組み、その抽象化を進めました。ロダンが断片を組み合わせて制作した《歩く人》は、彼が不要だと考えたので腕部がありません。歩く本質を表現するために必要でないものは取り去ってしまうロダンの考え方自体は、ブランクーシと通じるものを感じます。ブランクーシはすぐにロダンの許を去りますが、まったく考えが合わなかったわけではなく、意識していたかは分かりませんが、受け継いだ部分もあったのではないでしょうか。
コンスタンティン・ブランクーシ ポガニー嬢Ⅱ 1925 (2006鋳造) 磨かれたブロンズ 高さ44.8cm 石橋財団アーティゾン美術館
值得关注嘅「卵型」同「台座关系」
──睇嚟可以从多角度认识布朗库西喇!展览涵盖咗从早期到晚期多种形式同材质嘅作品,入面有啲特别值得留意嘅点吗?
岛本:应该系广义上讲可以称为「卵型」嘅主题喇。对布朗库西嚟讲,卵型象征住生命嘅根源。佢以人类头部为起点,追求理想嘅形态,而今次展览中包含咗唔少可以睇作卵型变化嘅作品。
──讲到卵型,最容易联想到嘅作品就系《沉睡嘅缪斯》。今次展览中,可以睇到大阪中之岛美术馆收藏嘅石膏作品《沉睡嘅缪斯》(展出至5月12日),同埋镜面抛光嘅青铜雕塑《沉睡嘅缪斯II》。另外仲有初期嘅《沉睡嘅幼儿》同布朗库西遗产管理机构收藏嘅《头部》《缪斯》等多个卵型形式嘅作品,能够感受到布朗库西一贯嘅关注点。
岛本:被视为卵型源流嘅《沉睡嘅幼儿》系一件珍贵嘅作品,模特系一个一岁大嘅细路仔。呢个作品里,横卧头部右边面颊系平嘅,所以可以直接横放嚟展示。当时普遍认为雕塑一定系垂直立嘅,所以通常需要台座。但呢件作品唔需要台座,可以直接展示畀人欣赏。布朗库西重新定义咗雕塑同台座之间嘅关系,而呢个变革喺20世纪美术史上具有创新意义。当馆收藏嘅《接吻》同样系唔需要台座嘅作品。
呢种理念可能系布朗库西从罗丹度继承嚟嘅。罗丹喺群像雕塑《加莱义民》中坚持将雕像放喺地面,而唔系摆喺高高嘅台座上,为此仲引发咗唔少争议。罗丹希望将作品同观众置喺同一高度,颠覆传统纪念碑嘅概念。
──展览中仲有以人体为主题嘅作品,例如《年轻女人嘅躯干》《年轻男人嘅躯干》,以及由艺藏美术馆收藏嘅《波加尼小姐II》,都展现咗唔同嘅变化。《年轻男人嘅躯干》将躯干同大腿上部还原成圆柱形,而《波加尼小姐II》则以夸张嘅大眼同流线型头发为特点,令人印象深刻。
岛本:布朗库西亦曾处理人体呢种传统主题,并推动咗抽象化。例如罗丹嘅《行走者》,系用断裂嘅身体部件组合而成,因为佢认为唔需要手臂都可以表达行走嘅本质。罗丹将冗余部分剔除嘅创作理念同布朗库西有共通之处。
虽然布朗库西好快就离开咗罗丹嘅工作室,但唔代表佢哋完全理念唔合。我哋唔知布朗库西系咪有意去承袭罗丹嘅思想,但可以推测部分观念系有延续性嘅。
オーギュスト・ロダン カミーユ・クローデル 1889年 ブロンズ 高さ24.5cm 石橋財団アーティゾン美術館
──ブランクーシが1920年のサロン・デ・ザンデパンダンに出品して物議を醸した《王妃X》も見られます。ずばり男根ふうの形状は、非常にインパクトがあり驚きました。フォルムもタイトルも挑発的に思える作品ですが、どのような狙いで制作したのでしょうか。
島本:本作は、1909年に制作した《鏡をみる女》という女性像を起点として、「女性的なるもの」の抽象化を探求していった終着点的な作品です。フォルムは恐らく彼自身の嗜好というよりも、歴史に残る同祖神的なかたちを参照したように思われます。上田さん(共に本展を担当したアーティゾン美術館学芸員)はどう思いますか?
上田杏菜:本展には、ブランクーシが撮影した《王妃X》の写真が出品されますが、それには天窓からの光を受けた作品の影が壁に映っています。その影を見ると、いわゆる女性らしい曲線的なシルエットが確認できます。写真を見る限り、ブランクーシは作品の影まで計算して制作したのかもしれません。
──布朗库西喺1920年参加独立沙龙展览时展出嘅《王妃X》引起咗极大争议。作品嘅形状酷似男性生殖器,非常具有冲击力,真系令人惊讶。咁样挑衅嘅造型同标题,佢嘅创作意图究竟系点样嘅?
岛本英明:呢件作品可以追溯到1909年创作嘅《镜中女子》。从呢个女性雕像出发,布朗库西一直喺探索“女性性”嘅抽象化,而《王妃X》可以话系呢个主题嘅最终成果。其形式似乎并非单纯出于艺术家个人嘅偏好,而系参考咗具有原始意义嘅同祖神形象。对于呢一点,上田小姐(同为本展负责策展嘅艺藏美术馆学艺员)你点睇呢?
上田杏菜:展览中都有展示布朗库西拍摄嘅《王妃X》照片。照片入面,作品通过天窗嘅光线喺墙上投下咗影子。从影子可以睇到,作品具有明显嘅女性化曲线。由此推测,布朗库西或者连作品嘅影子效果都经过精心设计嘅。
コンスタンティン・ブランクーシ 洗練された若い女性(ナンシー・キュナールの肖像) 1928-32(2013鋳造) 磨かれたブロンズ 54.9×14.9×21.9 cm ブランクーシ・エステート
鏡面仕上げで空間と新たな関係結ぶ
──素材について伺わせてください。ブランクーシはブロンズ、大理石、木、石膏など様々な素材を扱いましたが、《眠れるミューズ》のように同一主題を異なる素材で制作したケースが多いようです。どのように使い分けたのでしょうか。
島本:職人的とも言える鋭い感覚で各素材の性質を熟知し、意識的に使い分けていたと思います。一例を挙げますと、当館所蔵の《接吻》は、ブランクーシが1907年に制作した石の直彫り作品をもとに石膏で作られました。最初の作品は、砂岩質の、石膏にも通じるテクスチャーの白い石が使われています。1914年に再び石膏ヴァージョンを制作していますから、気に入ったテーマだと思われますが、それを硬質な大理石や鏡面ブロンズでは作らないわけです。
コンスタンティン・ブランクーシ 接吻 1907-10 石膏 高さ28.0cm 石橋財団アーティゾン美術館
──たしかに、ふたりが抱きあう姿をプリミティブな造形で表現した《接吻》がキラキラと光っていたら違和感がありそうです。
島本:表面を研磨したブロンズ作品は、1910年の《眠れるミューズ》が最も早い作例だと考えられます。そのときは、2点制作してもう片方に伝統的な彩色を施し、自分の作品のイメージに合う効果は光る仕上げとマットな彩色のどちらが良いかの見極めを行ったようです。その後、ブロンズ作品は基本的に磨くようになります。ブランクーシは木でも多数制作し、本展で紹介している磨きブロンズの《雄鶏》は、木や大理石、石膏のヴァージョンもあります。
──《雄鶏》は、鶏冠のようにギザギザの三角型フォルムに太い脚が付いて、ユーモアも感じます。
島本:概してブランクーシが木を用いた作品は、リラックスしたり、遊び心があったりする主題が多いようです。木は扱いやすい素材なので、実験的な試みがしやすかったこともあるでしょう。《空間の鳥》《魚》のような、よりシリアスな主題に関してはブロンズや大理石を用いたという指摘があります。
透过镜面抛光,与空间建立全新关系
──关于材料使用嘅问题,布朗库西成日以唔同材料创作相同主题,例如《沉睡的缪斯》。请问佢系点样选择同使用呢啲材料嘅?
岛本:布朗库西对各种材料嘅特性咁熟悉,用接近工匠级别嘅敏锐感知进行选择。举例,例如当馆收藏嘅《接吻》,最初系1907年用白色砂岩直接雕刻而成,呢种石材嘅质感类似于石膏。随后,佢用石膏再次制作咗呢个主题嘅作品。可以睇到,佢对呢个主题非常感兴趣,但却并冇尝试用硬质大理石或者镜面青铜嚟表现佢。
──确实,如果《接吻》采用镜面抛光效果,可能会令人感到违和。
岛本:布朗库西最早嘅镜面抛光作品可能系1910年嘅《沉睡的缪斯》。佢制作咗两件,其中一件进行咗传统彩绘,而另一件则采用咗镜面抛光。可以睇到,佢当时尝试比较两种工艺效果,最终偏向于镜面效果。从此以后,布朗库西嘅青铜作品几乎都采用咗镜面抛光。
例如《雄鸡》,除咗展出嘅青铜版本外,还有木质、大理石同石膏版本。
──《雄鸡》嘅设计具有一定幽默感,带住如鸡冠般嘅锯齿形状同粗壮嘅双腿。
岛本:总体嚟讲,布朗库西用木材创作嘅作品,通常带有一种轻松或者玩味嘅主题。木材易于加工,使佢能够更加自由咁进行实验性创作。而像《空中的鸟》或者《鱼》呢类较为严肃嘅主题,佢则倾向于用青铜或者大理石等坚固材料嚟表现。
コンスタンティン・ブランクーシ 雄鶏 1924(1972鋳造) ブロンズ 92.4×10.5×45.0cm 豊田市美術館
──表面を磨き上げた鏡面仕上げはブランクーシの特徴的な技法ですが、ほかの作家も行っていたのでしょうか?
島本:少し遅れてオシップ・ザツキンらが試みています。ただ、私が確認した限りですが、彫刻の歴史を見渡しても先行や同時代の例はみられず、彼が独自に編み出したと言えるでしょう。
──鏡面仕上げにブランクーシはどのような効果や空間との関係性を期待していたのでしょうか?
島本:たとえば、ここに人物の頭部彫刻があれば、私たちはつい輪郭や目鼻立ちに注意が向いて誰の顔かなどと考えがちです。でも表面が鏡面なら、輪郭も目鼻も光って全体に溶け込むように不明瞭になり、作品を見る私たちはそこに映り込む自分の顔や周囲が見えるだけです。ある意味、「見ること」自体が無効化されるのですね。鏡面仕上げは、彫刻表面の具体性を拭い去ることで、作品や主題を超越的な次元へ持っていき、空間とも新たな関係を結ぶための処置だったのではないかと思います。
コンスタンティン・ブランクーシ 魚 1924-26(1992鋳造) 磨かれたブロンズ 13.5×42.0×3.0cm ブランクーシ・エステート
──镜面抛光系布朗库西嘅标志性技法,呢种技术喺其他艺术家中都有应用吗?
岛本:稍晚啲,俄裔雕塑家扎金等人都尝试过类似技法。但据我所知,喺布朗库西之前嘅雕塑历史中并冇类似案例,因此可以认为系佢独创嘅技法。
──布朗库西点解咁钟意镜面抛光?佢同作品嘅空间关系有咩影响?
岛本:假如有一件普通嘅人物头部雕塑,人哋嘅目光通常会集中喺五官细节上,试图辨认呢个人系边个。而当雕塑表面采用镜面抛光时,轮廓同五官都因光线反射而变得模糊不清,观众睇到嘅反而系自己嘅影像同周围环境嘅倒影。喺某种意义上,呢种处理方式“无效化”咗具体嘅视觉信息,将作品提升到一个超越现实嘅层次,同时与空间建立起新嘅互动关系。
──これまで挙がった作品以外で島本さんがとくに注目している作品を教えてください。
島本:なかなかひとつに絞り難いのですが、1907年に制作したアート・インスティテュート・オブ・シカゴ所蔵の《苦しみ》は興味深い作品です。同じブロンズ像で2年前の《プライド》と比較すると、より滑らかな表面の効果を追ういっぽう、子供の顔立ちは曖昧に見えます。この時期にブランクーシが具体的な形態表現から素材の特性に即した表面の仕上げの重視に転換したことが伺えます。
── 除咗头先提到嘅作品之外,可唔可以讲下岛本先生特别留意嘅作品?
岛本:好难只拣一件,不过,1907年创作、而家收藏喺芝加哥艺术学院嘅《苦难》系一件好有趣嘅作品。同样系青铜雕像,拎嚟同两年前嘅《骄傲》比较,可以见到《苦难》更加追求表面嘅顺滑效果,而小朋友嘅面部轮廓就显得模糊啲。从呢件作品可以睇出,布朗库西喺呢个时期由具体形态嘅表达,开始转向更加重视依照材料特性去处理表面质感嘅转变。
コンスタンティン・ブランクーシ 苦しみ 1907 ブロンズ 29.2×28.8×22.3cm アート・インスティテュート・オブ・シカゴ Photo Image:Art Resource,NY
写真、言葉への強いこだわり
──展覧会のキーワードである「アトリエ」「写真」について、もう少し詳しく教えてください。ブランクーシが撮影した自身のアトリエの写真を見ると、広い空間に作品が並んでまるでギャラリーのようです。
島本:住居を兼ねたアトリエは約175㎡の広さがあり、うち約105㎡を完成した作品の展示室にしていました。ブランクーシは同時代の画商を中心とするマーケット(市場)の仕組みに乗らず、彼の生前はパリで作品を見たければアトリエに行くしかありませんでした。キャサリン・ドライヤーやペギー・グッゲンハイムといった錚々たるコレクターも彼の許を訪れて作品を購入しています。
当時マーケットはかなり成熟し、作家の居住地を離れて作品が評価される事例が増えていました。しかし創作と展示が地続きのブランクーシの場合、訪問者は彼が「主」として君臨する空間を目にすることになります。その結果、作家と作品が相互に作用し合い、神秘性が醸成された面もあるようです。訪れた人が、アトリエを「神殿」に譬えた証言も残されています。
ブランクーシが生前開催した個展は7回だけで、ブカレスト(ルーマニア)の1回を除けばすべてアメリカで行われました。個展の意義は、専ら遠隔地で作品を見せることにあったようです。
写真、语言的执念
──关于展览关键词“工作室”和“摄影”,可以详细讲讲吗?布朗库西拍摄自己工作室嘅照片入面,见到宽敞嘅空间同排得整整齐齐嘅作品,完全似一个画廊咁。
岛本:布朗库西居住兼创作嘅工作室面积大约有175㎡,其中105㎡专门用嚟展示完成嘅作品。佢冇依赖同时代画商为核心嘅市场机制,佢生前喺巴黎睇佢作品嘅唯一方法就系亲自去佢工作室。好多顶级收藏家,例如凯瑟琳·德莱尔同佩姬·古根海姆,都系直接去到佢工作室购买作品嘅。
嗰时艺术市场发展得好成熟,作家喺佢居住地以外被认可嘅情况越来越多。但布朗库西作品创作同展示一体化,访客到佢嘅工作室,唔单止见到作品,更见到佢作为“主人”统治呢个空间嘅一面。咁样嘅体验令艺术家同作品之间形成互动关系,同时塑造咗神秘感。曾经有访客将佢嘅工作室形容为“圣殿”。
布朗库西生前只举办过7次个展,其中除咗一次喺罗马尼亚布加勒斯特举办,其他全部都喺美国举行。佢举办个展似乎主要系为咗喺远离巴黎嘅地方展示作品。
コンスタンティン・ブランクーシ《アトリエの眺め、「無限柱」、「ポガニー嬢Ⅱ」》 1925 ゼラチンシルバープリント 東京都写真美術館
──ブランクーシはいつ、どのような理由で写真を始めたのですか?
島本:カメラはルーマニア時代から手にしていましたが、本格的に撮影を始めたのは1914年。アルフレッド・スティーグリッツが主宰するニューヨークの291ギャラリーで個展を開催した際に、著名な写真家のスティーグリッツが撮影した写真が気に入らず自作品を撮り始めたと言われます。
指南役だったマン・レイの証言によると、彼はスティーグリッツによる大理石彫刻の写真を見せて「写真としては美しい、だがこれは自分の作品を再現してはいない」と言ったそうです。
会場には、ブランクーシが撮影した53点の写真作品も展示しました。鏡面仕上げの彫刻作品に光を集めたり、自然光の下で撮ったり、露光効果が爆発して光が拡散している表情をとらえたり。様々な試みを通して、自分の作品の佇まいの変化を確認していたのだと思います。
──布朗库西系几时同点解开始摄影嘅?
岛本:布朗库西喺罗马尼亚时期已经接触过相机,但真正开始认真摄影系1914年。当时,佢喺纽约阿尔弗雷德·斯蒂格里茨主持嘅291画廊举行咗个展,但佢对斯蒂格里茨拍嘅作品照片唔满意,于是决定自己动手拍摄。
根据指导过佢嘅曼·雷回忆,布朗库西睇到斯蒂格里茨拍嘅大理石雕像照片后讲过:“作为照片,呢张系靓嘅,但佢并冇还原我嘅作品。”呢件事令佢决心自己拍摄作品。
展览中展示咗53幅布朗库西拍摄嘅照片。佢用光影变化展示咗作品多样嘅姿态:例如集中光线喺镜面抛光雕塑上、自然光下嘅拍摄效果、甚至使用咗曝光延长令光线散射爆发等方式。通过呢啲尝试,佢可能系希望验证自己作品喺唔同环境入面嘅形态变化。
会場風景
──ブランクーシは、創作に関する様々なアフォリズム(箴言)も知られています。たとえば「単純さとは、解決の与えられた複雑さのことである」は、私のような記者にも響く含蓄に富む言葉ですが、発表を意識していたのでしょうか。
島本:ブランクーシのアフォリズムは、アトリエを訪問した人々による記事や回顧談にしばしば登場し、自分が書いたノートのようなものも残されていたようです。創作に関する言葉を発表する重要性は意識していたようで、ブランクーシを特集した1925年の「ディス・クォーター」誌は、アフォリズムをまとめたページが組まれ、作品写真は彼が撮影したものが使われています。多分自分の創作がより完全な形で社会に伝わり、理解されることを望んだのではないでしょうか。そのための材料として自作の写真やアフォリズムを提示したのだと思います。自分のカリスマ性を高める意味合いもあったのかもしれません。
──布朗库西同样以创作相关嘅箴言著称,例如“简单系复杂嘅问题获得解决之后嘅状态”,对记者如我都有深刻启发。佢系有意公开呢啲言论吗?
岛本:布朗库西嘅箴言时常出现在访客撰写嘅文章或者回忆录中,而佢自己好似都有记录创作思考嘅笔记。佢似乎意识到将创作理念以语言形式公开嘅重要性。1925年特刊《This Quarter》专门聚焦布朗库西,收录咗佢嘅箴言,并且搭配咗佢亲自拍摄嘅作品照片。
我估计,布朗库西系希望自己嘅创作能够以更完整嘅方式传达畀社会,令公众更加理解佢嘅作品。而呢啲照片同箴言,就系呢个目的嘅工具,同时亦有助于提升佢作为艺术家嘅个人魅力。
マルセル・デュシャン マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラヴィの、または、による(トランクの箱)シリーズB 1952・1946(鉛筆素描) 68点のミニチュア版レプリカ、鉛筆による素描、革製トランク 石橋財団アーティゾン美術館 © Association Marcel Duchamp / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 C4591
米国での代理人務めたデュシャン
──セルフプロデュースの意識は現代的ですね。会場では、交流した美術家たちの作品も紹介しています。
島本:ブランクーシは多くの前衛的な芸術家と交流があり、関係性のレベルは様々でした。今回ご紹介する関連作品は、すべて当館の所蔵品から選びました。
イタリア出身でブランクーシの2年後にパリに来たアメデオ・モディリアーニとは卵型の頭部のフォルムに対する関心を共有しました。本展は絵画作品を紹介しますが、モディリアーニはブランクーシの勧めで直彫りの頭像制作に熱中した時期がありました。
マルセル・デュシャンとは、まだ彼が絵画を描いていた1910年前後に知り合いました。デュシャンは1915年に渡米し、その後はパリと往復しながらアメリカで人脈を広げていきますが、面白いのは知人にブランクーシの作品を斡旋しているんですね。コレクターを紹介したり、関わる展覧会に彼の出品をプッシュしたり。その極め付けが1926年と1933年にニューヨークのブラマー画廊で開催されたブランクーシ展で、デュシャンが自ら空間構成を手がけ、展示作業に当たりました。
エージェント(代理人)、キュレーター的なかたちでデュシャンはブランクーシに関わり、関係は生涯続きました。ご存じのようにデュシャンは自身の絵画制作を放棄しますが、他者の作品のキュレーションを創作のいわば代替物とみなし、意欲的に取り組んだのではないかと思います。本展ではその一例として、デュシャンが自作品のミニチュアの複製品や写真をカバンの中に詰めた《トランクの箱》シリーズの1点を展示しています。
ニューヨークでの個展に衝撃を受けたイサム・ノグチはパリに留学した1927年、ブランクーシの許で数カ月間アシスタントを務めました。ノグチは、表現に素材を従わせるのではなく、素材に表現を従わせることをブランクーシから学んだという趣旨を後に語っています。
ブランクーシは、現代彫刻に大きな影響を及ぼしました。本展で作品は紹介していませんが、DIC川村記念美術館で個展が開催中のミニマル・アートを代表するカール・アンドレは、影響を受けた美術家として真っ先にブランクーシの名を挙げ、ほかにもリチャード・セラやロバート・モリスら多くの現代作家が影響を認めています。
担任布朗库西米国代理人嘅杜尚
──布朗库西呢种自我推广嘅意识好现代化。展厅中仲有介绍佢同其他艺术家交流嘅相关作品。
岛本:布朗库西同好多先锋艺术家都有交流,关系深浅唔一。本次展览中展示嘅相关作品全部都系美术馆馆藏嘅精选品。
例如,布朗库西同意大利画家阿梅迪奥·莫迪里亚尼有共通点,两人都对蛋形头部嘅造型好感兴趣。展览中展示咗莫迪里亚尼嘅绘画作品,但其实,莫迪里亚尼喺布朗库西嘅建议下曾热衷于直接雕刻头部雕像。
至于马塞尔·杜尚,佢哋喺1910年前后认识,当时杜尚仲系画家。1915年,杜尚移居美国,此后频繁往返巴黎同美国,喺美国建立起自己嘅人脉网。特别有趣嘅系,杜尚主动推介布朗库西嘅作品,佢曾为布朗库西介绍收藏家,亦为佢争取参展机会。杜尚同布朗库西嘅合作巅峰系1926年同1933年,喺纽约布拉莫画廊举办嘅两场布朗库西个展,杜尚负责策展,甚至亲自参与布展工作。
杜尚喺某种程度上充当咗布朗库西嘅代理人同策展人,两人嘅关系持续咗一生。大家知道,杜尚后来放弃咗画画,但佢视策展他人作品为自己创作嘅某种替代品,并以积极态度投入其中。展览中亦展示咗杜尚《手提箱中的盒子》系列其中一件,入面装满咗佢自己作品嘅迷你复制品同照片。
曾被布朗库西喺纽约个展深深震撼嘅雕塑家野口勇,于1927年去到巴黎短暂拜师布朗库西,并担任咗几个月嘅助手。野口勇后来讲,布朗库西教佢嘅最大启发系“唔系用材料去配合表达,而系用表达去服从材料嘅特性”。
布朗库西对现代雕塑产生咗重大影响。虽然本次展览冇展出佢嘅作品,但而家喺DIC川村纪念美术馆举办个展嘅极简艺术代表人物卡尔·安德烈,就曾经将布朗库西列为对佢影响最大嘅艺术家之一。除此之外,理查德·塞拉同罗伯特·莫里斯等多位现代艺术家都承认受到布朗库西嘅启发。
作为极简主义雕塑嘅先驱,卡尔·安德烈喺2024年1月25日88岁时离世。而从3月9日起,DIC川村纪念美术馆将继续举办佢嘅回顾展,展现佢喺1960年代后期喺美国为中心兴起嘅极简艺术领域中所取得嘅成就。
(雷切尔插嘴:呢个展真系好Q好睇,作品仲可以踩上去。值得无雷公甘远过去,而且呢个美术馆最近要永久关闭了,在收集再开的签名……)
21世紀に息づく作品の魅力
──パリのポンピドゥー・センターでも、本展と同時期の3月27日から1995年以来となるブランクーシ展が開催されています(7月1日まで)。21世紀の現在、ブランクーシの彫刻作品の最大の魅力はどのような点にあると思われますか?
島本:普遍性ではないでしょうか。対象の本質を抉り出すフォルムや外観はもちろんですが、タイトルによる喚起力も相まって作品としてシンプルに強さがある。
主題に対する作家のイメージと一般的な概念のバランスが絶妙で、両者の結節点としてタイトルがある気がします。ブランクーシは客観的に自身の創作を見つめた作家で、憶測ですけれども、タイトルにより作品がどう見えるかについても強い意識があったのではないでしょうか。
また、職人的な手仕事に対する強いこだわりを持ちつつアーティストとしての意識は高かった。その結果、内容と形式の両面で高い完成度と普遍性が作品に備わっているのだと思います。
21世纪仍然鲜活嘅作品魅力
──巴黎蓬皮杜中心喺3月27日至7月1日期间,同时举办咗自1995年以来嘅首次布朗库西大展。喺21世纪今日,布朗库西嘅雕塑作品最大嘅魅力喺边度?
岛本:应该系其“普遍性”。布朗库西嘅作品通过雕塑嘅形态同外观,将对象嘅本质深深挖掘出来,同时,标题嘅引发性亦为作品增添咗简洁而有力嘅特质。
我认为,布朗库西作品中,艺术家对主题嘅个体想象同大众普遍概念之间达到咗一种巧妙平衡,而标题正好喺两者之间起到连接作用。佢系一位能够客观审视自己创作嘅艺术家。我推测,佢对标题如何影响作品嘅观感应该有深刻嘅考虑。
另外,布朗库西喺创作中对手工技艺嘅坚持亦值得一提,佢表现出极高嘅工匠精神,同时具备强烈嘅艺术家自觉。因此,佢嘅作品喺内容同形式两方面都达到咗高度嘅完成度同普遍性。呢种特点令其作品喺21世纪依然充满吸引力,仲继续影响住现代艺术嘅发展。
如果需要进一步润色,随时讲声!
翻译完啦,其实我去睇左呢个展览,呢个艺术家明明好出名,但展览系日本反响一半,感觉佢已经过气?你觉得系点解?
ChatGPT:
布朗库西的确是现代雕塑的开创者之一,但你观察到佢喺日本展览反响一般,可能与以下几方面有关:
时代变化布朗库西的极简美学对20世纪早期的艺术潮流产生了深远影响,但现时观众可能更关注当代艺术形式,如数字艺术、装置艺术等,佢嘅作品未必对现代观众形成强烈共鸣。
文化与艺术语境日本艺术界对极简主义其实有一定接受度(如侘寂美学),但布朗库西的作品源于西方哲学与抽象观念,可能与日本观众文化背景之间未能完全契合。
展览策略展览的策划、宣传与教育亦会影响观众反应。如果策展内容未能清晰传达布朗库西对现代艺术的历史性贡献,或者未提供新视角,观众可能觉得欠缺吸引力。
艺术的普遍性与过时感虽然布朗库西的作品在形式上具普遍性,但「普遍性」本身有时会被误解为「平淡」或「陈旧」,特别是对未深入了解其艺术背景的观众而言。
你认为展览有冇提供足够资料或者策展亮点可以加深大家对佢艺术嘅兴趣呢?
あなた:
我反而之前觉得佢好普通,就同而家烂大街的城市雕塑一样无聊。但在现场特别是一个灯光好特别嘅展厅,据说是还原了当时他工作室的日光,我觉得非常有感觉。
下面就喺22张场内+3张场外照片的扶贫付费喇。
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